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筋トレを始める動機って何だろう

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人が筋トレを始める動機は様々です。この記事を読んでいる皆さんは、どのような動機で筋トレを始めましたか?今回は、筋トレを始める様々な動機と無事に続けることができるかどうかというお話をしていきます。

筋トレを始める動機

  1. 最強になりたいから
  2. マッチョになって女にモテたいから
  3. かっこよく成りたいから
  4. 肉体的コンプレックス(体系の悩み等)を打破したいから
  5. 失恋をきっかけに筋トレを始めた?(一瞬、意味不明に思えますが後に解説します。)

一部例を挙げましたが、このように人が筋トレを始める動機というのは様々です。

1~3の筋トレを始める動機は現状よりも高みを目指したい人

私はどちらかというと1のタイプでして最強に近づきたい、よくを言えば自分より強い人の存在を許せないというものです。なので私の場合は肉体的な美しさを求めるボディビルというよりかは、パワーで如何なる相手をもねじ伏せるような存在になりたかったというのがキッカケに筋トレを始めたのが動機です。男ならば、強くなりたいとか、群れを率いるなら群れの頂点に立ちたいとか、そのような中二病的な野心を大小あっても少なからずは持ったことのある人のほうが多いのではないでしょうか。それゆえ肉体的スペックを高めるために筋トレを始めたり、別途のジャンルにて格闘技や武術の世界に足を踏み入れたり、中には武への好奇心からナイフや銃、兵器などに興味を抱いたりするかと思います。

あくまで私は精神年齢が幼稚ですのでアニメやゲーム、マーベルコミックのヒーローのような力の追求として1のタイプです。しかし成人に近い年齢の人ほど2と3の動機をもって高みを目指したい人かと思います。

思春期ほどのガキ共から上の年齢にかけて、異性にモテたいという欲求がでてくるかと思います。この場合は2と3のタイプなのではないでしょうか。かっこよく成りたいという動機もやはり少なからず異性への求心が伴うものです。このタイプは簡単に言えば同性他者に嫉妬されたい、そして異性に求められたいという方でしょう。

4と5の筋トレを始める動機は闇が深い・・・

上記の人達と異なり、筋トレを始める動機は克服の手段として選んだのが筋トレであり「やらなければならない」という使命感からくるものです。使命感から筋トレを開始するため、筋トレをしている期間中は基本、ストレス以外の何者でもありません。非常に不幸と言いますか・・・。

4のタイプであれば、遺伝的な理由が背景にありますから平均よりも下回る並み以下の肉体を持っている期間中は、周りへの嫉妬、酷い場合は憎悪を持ち合わせながらコンプレックスからの改善を目的に、やりたくなくてもやらなければならない状況に陥っている可能性があります。しかし、このような人の場合、道中に身体の変化が現れたり、使用するウエイトが以前に増して高まったりすると稀に、その部分に面白さや生き甲斐を見出してしまい、途端に、自分が今後もどのように変化していくのかという可能性に興味や魅了が伴い、途端に明るくハッピーな人生へとシフトする可能性を持ち合わせています。この頃、当初掲げていた動機なんてものはちっぽけなものに思えてしまうでしょう。このように例え肉体的なコンプレックスを抱えていることから筋トレを始める動機であったにせよ、遺伝的な他者との差異に悲観するのではなく、自分の努力そのものの価値を見出すことへの喜びへとシフトするのです。なぜなら、遺伝は実力外、重要なのは、自身の努力をもって何を変えることが出来たか、自身の努力そのものの価値の重要性に気づくからです。こういう人は後に人格者になりうるほどの成長が見込まれますし、自身と同じコンプレックスを持つ者の痛みを理解することが出来ます。

5のタイプは幾つかパターンがあり一部紹介すると、(A)失恋した辛さを紛らわすための手段として最初は気分転換のつもりで筋トレをするという選択に至った人と、(B)恋人を寝取られ奪われた、その相手がマッチョだったから恋人を見返すために筋トレを始めるというものだったりします。

(A)は、私から言わせると単なる現実逃避でしかありません。失恋と筋トレは双方が全く関連性の無い事柄です。ただ、失恋というどうにも解決しようにない現実の心の痛みを別の事柄に夢中になりたい一心で手段として筋トレを選んだに過ぎず、根本的な心の癒しにはなりません。あくまで紛らわしに過ぎません。でも、そうでもしなければ、その日その一秒が苦痛で耐えられないという苦しみは痛いほど理解できます。よって、どうせ解決しようのない失恋においては、現実逃避として筋トレでもして忘れられて、ごまかす手段を取らざる負えないことは仕方ないのです。しかし元々、我が身より大切な愛する者を持つという恋愛というのは、これ自体が心の病であり、この世でこれ以上とない幸福を感じさせる一種の病気のようなもので、それは非合理で非常に愚かであり、無条件に人を愛し、全てを許すことのできる理屈もモラルも通用しない世界です。自分では正常な理性、判断ではないことを心の奥底では理解しているが、とにかく無条件に好きで愛してしまい、その人のためなら全てを犠牲にし、敵に回しても構わないという状況に陥ります。これほど、大切な人を失う痛みと喪失感は計り知れないものですが、例え気を紛らわしてでも数カ月、月日が経過し、ある日、朝目覚めた瞬間かつて愛した人への想い、その感情の非合理、愚かさに気づかされスッキリと目を覚ます日が来ます。こうなった時、不思議なことに未練は自然と消え失せ、正常な判断思考を取り戻した現実へと帰ることができます。それは、あなたが無我夢中に愛した人は、本来、愛の対象に値するべき人ではなかったということ・・・。

(B)は、初めから恋人を愛してはいません。自分では愛したつもりになっているだけで、実質には疑似恋愛にすぎません。本当に愛する人を奪われ失った場合、恋人の喪失を然る事乍ら、恋人を見返して認められたい「僕だって鍛えればマッチョになれるんだぞ」という気持ちになること相手への見栄の示しによる自己満足であり、本当に愛する人を失ったならば、見栄を見せつけるなんて報復的な感情以前に失望感に嘆き苦しむことでしょう。本当に恋をし愛した人間であれば恋人が他者への気持ちの移り変わった時、あなたは命よりも大切な存在を失います。こんな時に「僕だって鍛えればマッチョになれるんだぞそんな流暢に見返してやるなんて言ってられますか?

そんな流暢なことを言える人間は初めから本当の恋愛など初めからしていません。恋人は無条件に、あなたを愛してくれたのではなく、マッチョな人のほうがより自分にとって良いアクセサリーという考えの元で、実のなる木には木をで猿のごとく枝を渡り歩く程度の恋人でしかなかったわけです。本来、愛とは無条件に相手に対し尽くしたいものであり、この時に、あなたがマッチョでないから別のマッチョに枝移りするというのであれば、恋人の想いなど所詮その程度、そして見返して気が晴れるとする、あなたもその程度です。双方は初めから恋愛関係ではありません。

如何なる筋トレの動機にせよ続けられるかどうか・・・


この分かりやすいマトリクスを用いて説明すると、人の行動は必ずは損得勘定から入ります。筋トレを始めるならば筋トレをすることで得が生じることを考え人は筋トレをするのです。この時に、筋トレが続くか続かないかは時間と資金と労力など総合的な面で費やした結果、筋トレをして得だとする成果報酬が努力の割に高くもっているのだとしたら必然的に人は誰に言われずとも努力し続けます

逆に高い努力を費やして、得られる成果報酬が低いと感じれば自然と努力しなくなり挫折するのです。これは根性が足りないとか気合が足りないとかという話ではなく、その人にとって筋トレは欲求を満たす割に合わない事柄なので得よりも損が大きいと言えます。

もちろん、日によってのメンタル、身を取り巻く環境の要因によっては常に努力と成果報酬の比率は前後します。よく初心者にありがちなのは、努力を現実よりも低く想定して筋トレに取り掛かるも現実は、もっと努力が必要なのだと悟った時です。この時、ほとんどの場合マトリクスの成果報酬指数よりも努力指数が上回りますので結果挫折することになります

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