トレーニングの知識

筋トレに才能の大小は関係ない

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このことは筋トレ以外にも全ての分野に共通するものがあります。筋トレにおける才能とはザックリといえば筋肉が付きやすいかどうかです。少し細かく言えば、ボディビルならパーツの長い骨格が優れ、パワーリフターならガッシリ太い骨格が優れます。フィジークならば顔、頭身、肩幅、ウェストのバランスが土台となっていくことでしょう。

もし、アマチュアの競技者であるならば生まれ持った才能の大小を意識するのは必要ないと言えます。では、なぜ才能を気にする必要が無いのでしょうか・・・。

筋トレにおける生まれつき才能は自ら創造したものではない

あなたが今ある容姿、体格、知性、そして高等生物である人間であるのは、予め遺伝子に定められた設計図により形成されたものであり祖先の恩恵です。それは、あなたがこの世に生をうけ人生の歩みの中、自ら付加価値をつけていった事柄、学問や経験による知的財産、スポーツ等における運動能力開発・技術開発とは全くの別物です。

実質的な自身の才能価値とは、生まれた時には備わっていなかった事柄を自らの意思で創造し後天的に手に入れた事柄を指します。初めから、あなたに備わっている他者よりも有利な特定の才能は、あなたが作り出したものではなく血筋を通して、貰い受けたに過ぎません。

極端な例でいえば、生まれた時から勉強もスポーツも恋愛も仕事も何をやっても簡単にできてしまうとするならば、傍から見れば優秀な人のように見えますし、絶賛の声もあがることでしょう。ただしバックグラウンドを除けば、本人は特に努力して何かを得たわけではなく、あくまで祖先の恩恵による必然的優秀に過ぎません。

人生というのはプラモデルのようなもので、親に強請って買ってもらったのは良いが自宅に帰り、早々、組み立てようとすると親が介入し「子供にはまだ早いから組み立ててあげる」「手伝ってあげる」といって、自分で組み立てる楽しみを奪われ完成品を渡されたとします。そこで満足できますか?

自ら何かを作り出すからこそ面白さ、達成感、充実感が伴います。形無いものを自らの意思と行動により形にすることに価値があります。

真の才能とは「生まれ付き才能」ではなく「自ら創造した才能」を指す

上記、プラモデルの例えが非常に分かりやすいかと思います。祖先から受け継いだ才能も正に同じようなものです。予め完成されたものを遺伝子として与えられるだけで何事も上手くってしまうならば凡人と同列の勉強やスポーツ等に身をとおじてもつまらないでしょう。

生まれつきの才能に浸るのではなく重要なのは生まれつき才能の大小問わず、その先にある「自分が、こうありたいという目標」それは、自らをリデザインする即ち、手にするには困難であるけれども成し遂げたいと努力するプロセスの上で初めて当人は無から付加価値を作ることが出来ます。それこそ、「生まれ持った才能」ではなく「自ら作り出した才能」です。

筋トレをボディビル競技に直結した場合の才能

ここではプロとアマチュアを分けます。プロボディビル競技は選手のビジネスなので勝てば収入になります。金銭が絡む競技においてスポーツマンシップは綺麗事と疑って良いでしょう。「自ら創造した才能」が重要視される場ではありません。

一方でアマチュア競技は「自ら創造した才能」を披露する場所です。もちろん、必ずは「生まれつき才能」の上で「自ら創造した才能」を付加するものですので、審査員が下す評価は表面上の肉体美しか見ません。従って、生まれ持った才能9に対し努力が1の選手の9:1の選手もいれば、1:9の選手もいることでしょう。その辺、ボディビルに限らず、どの競技においても厳密として平等な競技はあり得ません。しかし、評価の優劣は、どうであれ各々の選手が、こうありたいとする肉体美に向け付加価値作りに努力してきたことは事実です。そのために全力投球を費やしてきた選手であれば、負けても喜び、勝っても喜びです。

アマチュアの競技というのは選手らが自己ベストまで出し尽くした肉体をもって勝負に投じる世界ですので、勝っても負けても出し尽くしです。それで元々です。だから悔いを持つなどといった感情は偏見か、そもそも努力していない人に見られる様子でしょう。

本当に付加価値の創造に全力投球し尽くした人は終始笑顔ですし、他の選手らにも同じく付加価値作りに努力を惜しんできた者同士、筋肉の肉体美の差が何であれ尊重し合えるのです。

逆にベストを尽くすことなく「生まれつき才能」に甘んじて出場した選手は負けた時に悔しい思いをします。勝っても他者を見下すことでしょう。本当の才能とは何かをわかっていないためです。

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